ブレイク・スナイダーの脚本術とは
「SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術」は、アメリカAmazonの脚本部門で1位を獲得した脚本指南書。有名な「千の顔をもつ英雄〔新訳版〕」「映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術」などを下地に、著者ブレイク・スナイダーの脚本術を公開しています。
ログラインは脚本家が最初にすべき仕事
ログライン(もしくはワンライン)は「脚本の内容を一行で簡潔に説明」したものです。スナイダーはログライン作りは脚本家が最初にすべき仕事であり、一行で読者の心を掴めない脚本家の脚本など聞くまでもないと断言します。
好例として挙げるログラインは以下です。
・新婚ホヤホヤのカップルが、離婚した親(計四人)のもとでクリスマスを過ごすことに・・・。
『フォー・クリスマス』(08)
・入社したての新入社員が週末に会社の研修に行くが、なぜか命を狙われる。
『The Retreat』
・超安全志向の教師が理想の美女と結婚することになるが、その前に将来の義理の兄(警官)と最悪の相乗りをする羽目になる!!
『Ride Alogn』
ログラインはテスト・マーケティング、即ちその辺の赤の他人に聞かせて意見を聞くべきだと主張します。アイデアが盗まれるかも? と不安がるのは素人。大事なのは面と向かって反応を見ること。アイデアを説明する。相手が視線を逸したり、ソワソワしたら駄目。そういったアイデアは修正の必要有り。
良質のログラインには共通項があるとスナイダーは言います。
「どんな映画なの?」に答えている
上にも書きましたがログラインの基本。
皮肉がある
・警官が別居中の妻に会いに来るが、妻の勤める会社のビルがテロリストに乗っ取られる。
『ダイ・ハード』(88)・週末の楽しみに雇ったコールガールに、ビジネスマンは本気で恋をしてしまう。
『プリティ・ウーマン』(90)
スナイダーは上記のログラインを例に挙げ、いいログラインには皮肉があると言います。ここで言う皮肉は多義的ですが、例えば撞着語法で、矛盾している要素をくっつけた表現です。
イメージの広がり
ログラインから映画の全体像が見えるかどうか。いいログラインからは、パッと花が開くように全体像が想像できたり、潜在的可能性が見えたり、面白いことが起こりそうな予感を感じさせます。例として『ブラインド・デート』(87)の「彼女は完璧な美女ーお酒を飲むまでは・・・」を挙げています。
パッと頭の中で魅力的なイメージが浮かぶか、映画の時間や全体の雰囲気が想像できるか。
観客と制作費
ログラインは映画会社のバイヤーを惹きつける要素、即ちターゲットとなる客層や制作費が明確であるべきです。これは映画脚本ならではの要素でしょう。プロのバイヤーは設定を知ればおおよその制作費(人件費や製作期間)が読めるのでしょうね。
パンチの効いたタイトル
インパクトのあるタイトルとログラインが組み合わさると、ボクシングの連続パンチみたいにノックアウト確実である、とはスナイダー談。
タイトルにも皮肉は欠かせず、ストーリーが透けて見えねばならない。コンセプトを伝えながらも馬鹿っぽくないタイトルかつけられるかどうかが腕の見せ所です。
主人公を作ろう!
主人公造形の必ず守るべき基本は以下。
- 共感できる人物
- 学ぶことのある人物
- 応援したくなる人物
- 最後に勝つ価値のある人物
- 原始的でシンプルな動機があり、その動機に納得がいく人物
- 設定された状況のなかで一番葛藤する
- 感情が変化するのに一番時間がかかる
- 楽しんでもらえる客層の幅が一番広い
主人公を作るには、この単純なルールに従えばまず間違いない。特に原始的な動機はあるか? は重要。人間は本能的で原始的なものに心を動かされる。生き延びること、飢えに打ち勝つこと、性愛、愛する者を守ること、死の恐怖に打ち勝つこと、こうした根源的欲求は万人の心を掴む力があります。
さらに客層の幅も重要。書き手はどうしても観客が自分と同年代と思い込みがち。作品を鑑賞する層が本当に共感できる主人公にしなければならない。
ブレイク・スナイダーの10ジャンルとは
スナイダーは映画を10種類だと主張します。
家のなかのモンスター
基本ルールは単純。まず家は逃げ場のない空間であること。沿岸沿いの町、宇宙船内、恐竜の走り回る未来のディズニーランド、もしくは家庭。そこで何か(犯罪、実験の失敗など)が起き(大抵は人間の貪欲さが原因)、結果、モンスターが誕生。
モンスターは罪を犯した者に復讐を実行。罪に気付いた者は大目に見る。それ以外の人間はとにかく逃げ、隠れる。これが基本の流れで、脚本家はモンスターにどんな新鮮味、捻りを加えられるかが腕の見せ所です。
家のなかのモンスターの基本構成要素は家とモンスターの二つ。ここにモンスターを殺したがっている人間を加えると、原始人にも分かる話になります。「危ない!・・・奴に食われるな!」という誰にでも分かる単純で原始的なルールです。
例「ジョーズ」「エクソシスト」「エイリアン」「ジュラシック・パーク」
金の羊毛
金の羊毛とはギリシャ神話に由来する。英雄イアソンとアルゴ船隊員がコルキスからやっとの思いで盗みだした金の羊毛のこと。
主人公は何かを求めて旅に出るが、最終的に発見するものは別のもの=自分自身というストーリー。欠かせない展開が主人公が旅の途中で人々と出会い、多くの経験をすること。それらは主人公の成長させる要素であり、最後の成長の完成(金の羊毛)への階段になります。
重要なのは主人公が進んだ距離ではなく変化であり、変化に観客はストーリーの進捗を感じます。最初に重要と思えたものより、様々な出会いや経験による変化から、最終的に個人が何かを発見することの方に意味がある。
例「オズの魔法使」「大災難 P.T.A」「スター・ウォーズ」「ロード・トリップ」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
魔法のランプ
魔法のランプはアラジンと魔法のランプのこと。ランプの魔人が出てきて何でも願いを叶えてくれる。誰もが持つ願望でありだからこそ沢山の作品が作られヒットする。魔法のランプは魔法のアイテム、恋の薬、不思議な生物、強運や奇跡など。
魔法のランプは、魔法でどん底の主人公が絶頂に、絶頂の主人公がどん底に落ちる二パターンがある。
パターン1。主人公はシンデレラよろしく酷い扱いを受けており、だからこそ観客は主人公の願いが叶い、幸せになってくれることを願う。しかし、どんなに哀れな主人公でも大成功されると鼻白む。そこで主人公は最終的には成功を否定し、普通の人間(つまり観客と同じ人間)でいるのが一番だと気付くようになっている。つまり一番大切なのは道徳に適った行いをすることだ、という教訓が示される。
パターン2。主人公は色々なやましいことで幸せの絶頂にいる(と思っている)。ある時、魔法のランプの影響でやましいことが出来なくなり何もかも上手くいかない。主人公は変わらざるを得なくなり、正攻法で奮闘する。そうして変わったことで本当に大事なものとは何かに気付き、最後には手に入れる。この場合、主人公は懲らしめられるべき人間だが、最後に多少の救いが必要なので、ストーリー中に多少救う価値がある人間であることを示す必要がある。
どちらのパターンでも主人公は魔法にかかり、変化し、最後に勝利を収める点は同じです。
例「ブルース・オールマイティ」「ハービー 機械じかけのキューピッド」「ラブ・ポーション No.9」「ライアーライアー」
難題に直面した平凡な奴
「どこにでもいそうな奴が、とんでもない状況に巻き込まれる」が難題に直面した平凡な奴です。何でもない平凡なはずだった一日が、突如とんでもない一日になってしまいます。観客は大抵自分を普通の人間と思っており、同類の主人公がとんでもない状況に追い込まれると同情してしまう。
難題に直面した平凡な奴の構成要素は二つ。主人公が観客と同じ普通の人間だということ、その普通の人間が勇気を振り絞り解決しなければならない難題に直面したこと。この二つが組み合わさるとミスマッチな状況が生まれる。
難題に直面した平凡な奴を上手く展開するには「大問題」と「とにかく悪い奴」が必要。悪役が悪ければ悪いほど、立ち向かう主人公は輝きを増し、行動が勇気あるものに映る。そのため悪役は徹底的に悪くする。変にマイルドな悪役にしてしまうと失敗します。
例「ダイ・ハード」「シンドラーのリスト」「ターミネーター」
人生の節目
主人公が直面する辛く苦しい経験は、人生という名の力によることが多い。人生には目に見えない、理解し難い問題が襲ってくる時がある。それはアルコールや薬物中毒、思春期、中年の危機、老い、失恋、愛する者の死であったりする。主人公はこれら難題をくぐり抜け解決策を見出す。
流れとしては、難題が主人公に忍び寄り、徐々に顕在化する。主人公はその正体に気付き、受け入れることで最後に勝利を収める。
例「失われた週末」「酒と薔薇の日々」「28DAYS」「男が女を愛するとき」
バディとの友情
最初、バティはお互いを嫌っているが、旅をしていくうちに相手の存在が必要で、二人揃って初めて自分達が完成すると気付く。しかし、物語終盤に二人は喧嘩、仲違いし別れ別れになる。この別れは偽物で互いにエゴを捨て仲良くするしかないと自覚するための儀式にすぎない。
スナイダーはバディ物はどちらかが変化を担当し、もう一方はそれを刺激する役どころが多い。バティ物は実態はラブストーリーであり、男同士であれ女同士であれ片方にスカートを履かせたもの。バティ物がヒットするのは「僕と親友」のストーリーには誰でも共感するからだと言います。
例「明日に向かって撃て!」「ウェインズ・ワールド」「48時間」
なぜやったのか?
「金の羊毛」と違い「なぜやったのか?」は主人公の変化を描くものではない。犯罪が事件として明るみに出た時、その背後にある想像すらできなかった人間の心性が暴かれる。
このジャンルには共通項があり、観客を人間の心の闇に連れて行き、物語中の探偵が観客の代わりに謎を解くかに見えるが、真相を突き止めるのは観客自身だということ。観客は探偵が集めた情報をもとに自分で真相を明らかにし、意外な結末に衝撃を受ける。
例「市民ケーン」「チャイナタウン」「大統領の陰謀」「ミスティック・リバー」
バカの勝利
必要な要素は「バカで間抜けで無能、誰も成功するとは思わない奴」「バカが抵抗し反撃する体制または組織」。背が低く、間抜けで誰にも相手にされないが、運と勇気を持ちどんなに形勢が悪くても決して諦めない特異な才能で最後に勝利する。
バカに対し強力な権力を持つ悪者(体制側)がおり、その体制側をバカが右往左往させるのを見て観客は面白がる。権力や権力の象徴、金銭的な大成功、何かしらの文化や過度の崇拝と自惚れ、こうしたものをバカは徹底的におちょくりコケにする。
多くの人は自分の人生を不遇だと否定的に捉えており、バカはその誇張された象徴です。そのバカが権力者に勝利することで自分が勝利したような快感を味わう。
例「デーヴ」「チャンス」「アマデウス」「フォレスト・ガンプ/一期一会」
組織のなかで
集団は多数派の目的達成のため、少数派は犠牲になる。集団や組織、施設、ファミリーなど、主人公は所属する組織に誇りを感じる一方、組織の一員として生きるため自分らしさ、自己同一性を失う問題も抱え葛藤する。「組織のなかで」は個人より集団を有線することの是非を描きます。
このジャンルは新しく組織に入ってきた新人の視点で語られることが多い。なぜなら観客がこの新人と同じ立場であり、組織の回り方、しきたり、専門用語など、新人が疑問を抱え質問、調査することが観客への説明になるからです。そして次第に組織の腐敗が暴かれていく。
例「カッコーの巣の上で」「アメリカン・ビューティ」「M★A★S★H★マッシュ」「ゴッド・ファーザー」
スーパーヒーロー
「スーパーヒーロー」は「難題に直面した平凡な奴」の対極にあり、正反対の定義が当てはまる。超人的能力を持つ主人公がありきたりで平凡な状況に置かれる。ティーンエイジャー向けのコミックでよく見られるのは、彼らが新人類であり既存の価値観に馴染めず、それがスーパーヒーローの苦悩と重なるからです。
スーパーヒーロー物は周囲の人間たちの心の狭さ、無理解により苦しむ。人と違うとはどんなことか、独創的な思考、素晴らしい能力を妬む凡人と向き合わねばならないとはどういうことかを、観客が共感できるように描く。そしてどんな人でも、スーパーヒーローでなくてもそういった経験はあるものです。
観客はスーパーヒーローの周囲から誤解されたり、理解されない苦しみに共感する。スーパーヒーロー物がヒットするのは、その超人的能力に観客は想像力を掻き立てられ、彼らの抱える現実の辛さや苦しみにも共感する絶妙なバランスが取れているからです。
ちなみに、スーパーヒーロー物の続編が失敗するのは、一作目で主人公の苦悩に焦点を当て観客の共感を誘ったのに、続編で忘れるからだとスナイダーは指摘します。
例「グラディエーター」「ビューティフル・マインド」
ブレイク・スナイダー・ビート・シート
ブレイク・スナイダー・ビート・シート(以下BS2)はスナイダーの独自脚本テンプレート。脚本を15のビートに区切ったものです。
●ブレイク・スナイダー・ビート・シート(BS2)
- 1.オープニング・イメージ(1)
- 2.テーマの提示(5)
- 3.セットアップ(1~10)
- 4.きっかけ(12)
- 5.悩みのとき(12~25)
- 6.第一ターニング・ポイント(25)
- 7.サブプロット(30)
- 8.お楽しみ(30~55)
- 9.ミッド・ポイント(55)
- 10.迫り来る悪い奴ら(55~75)
- 11.すべてを失って(75)
- 12.心の暗闇(75~85)
- 13.第二ターニング・ポイント(85)
- 14.フィナーレ(85~110)
- 15.ファイナル・イメージ(110)
()の数字はビートの起こるページ数(脚本は大体110枚としての数字)。
オープニング・イメージ(1)
観客に映画の第一印象を決定づけるビート。作品のスタイル、ジャンル、スケール、雰囲気を示し、主人公を紹介する。観客がこれからどういう映画を見るのか想像できる要素を提供しなけらばならない。
オープニング・イメージは後のファイナル・イメージと対になっている。脚本が完成したらオープニング・イメージとファイナル・イメージを見比べ、劇的な変化がしっかり描かれているか確認する。
テーマの提示(5)
構成の良い脚本は、冒頭5分あたりで誰がが問題提起したり、テーマに関連したことを口にする。会話中の何気ない一言、あからさまな予言、現象など表現方法は様々。主人公はこの時点で意味を理解していないが、やがて<それ>が重要な意味を持っていたことに気付く。
多くの脚本には脚本家の主張が含まれる。これこれに賛成か反対か、こういった物、行動に価値はあるか、尊重すべきは個人か組織な等々。どのようなジャンルであれ、主張(テーマ)がありそれは冒頭で表される。BS2では5ページ目。
セットアップ(1~10)
脚本の最初の10ページはセットアップと呼ばれ、観客が関心を持つか無くすかを決める境目。
物語の登場人物の紹介も行われる。主要な登場人物は開始10分以内で全員登場、少なくとも存在がほのめかされる。さらに各人物の特徴、後に起こる問題の原因、主人公の勝利に必要な変化が提示される。要は今後の物語進行で必要な要素はここで全て提示される。
「主人公の勝利に必要な変化」とは、今の主人公に欠けているものと言い換えてもいい。冷血な態度→優しさ、引き篭もる→対人能力、享楽的な行動ばかりしている→賢さ・慎重さ。
きっかけ(12)
主人公の変化の旅のきっかけが提示される。電報、解雇通知、妻の浮気現場を目撃、余命宣告、使者の来訪など。きっかけはいい知らせだったり悪い知らせだったりするが、冒険や旅が終わる頃にはきっかけによって主人公は幸福を手に入れている。
悩みのとき(12~15)
主人公が目標に対し実現不可能じゃないかと悩み、竦む。内からの疑問、不安に答えを出し、出立を選ぶ。
第一ターニング・ポイント(25)
25ページでは何かが起きなければならない、何かとっても大きなことが。一幕と二幕の境目は古い世界を出て、正反対の世界に進む瞬間。
二つの世界はあまりに違い、入るには明確な意志が必要になる。主人公は何となく第二幕に入ってはいけない。誘惑に負けた、半分騙されたなどではなく明確に自らの意志で入る。きっかけは不可抗力でも、受け入れ、旅立つ決意は本人の意志だ。
サブプロット(Bストーリー)(30)
メイン・プロット(Aストーリー)のターニング・ポイント後の衝撃を和らげながら、さらにストーリーを前進させる。ブースターロケット的役割。観客は第二幕へ突入して今までの世界と正反対の世界に放り込まれる。メイン・プロットの話ばかりで観客は疲れており、息抜きや気分転換として別のストーリーを見せる。
サブプロットはラブストーリーが多い。
お楽しみ(30~55)
「お楽しみ」は観客に対するお約束を果たす場。ポスターや予告編で使った一番おいしい部分であり、観客はここに一番期待している。
お楽しみはストーリーの最終ゴールを少し逸れて、お約束の場面を観客に見てもらう場所。全体のトーンは軽め。
ミッド・ポイント(55)
映画は前半と後半に分かれ、その中間点がミッド・ポイント、物語の折り返し地点。第一幕と第二幕の終わりが重要だが、ミッド・ポイントも同じくらい重要。
ミッド・ポイントで主人公は絶好調(実は見せかけ)か絶不調(実は見せかけ)になることが多い。どちらになるかは脚本次第ですが、ここを押さえておけばストーリーが安定する。
ミッド・ポイントから“いきなり危険度がアップ“する。「お楽しみ」は終わり、全体が元のストーリーラインに戻る。
ミッド・ポイントが「見せかけの勝利」になっている場合、主人公は望むもの全てを手に入れたと勘違いしているが、あくまで一時的勝利にすぎない。主人公はこれから本物の教訓を学ばなければならない。
ミッド・ポイントと対のビートが「すべてを失って(75)」です。両者は正反対のビートであり、ミッド・ポイントが絶好調(見せかけの勝利)なら「すべてを失って」では絶不調になる。ミッド・ポイントは見せかけの勝利か見せかけの敗北のいずれかであり、「すべてを失って」はその逆になる。
迫り来る悪い奴ら(55~75)
ミッド・ポイントでは一見全てが上手くいき、主人公は絶好調に見え、悪役達(物や現象なども含む)は敗北したように見える。しかしそれは間違いだ。悪役達は「迫り来る悪い奴ら」で態勢を立て直し、総攻撃の準備を完了させる。
悪役達が力を増すのとは逆に主人公達の力は弱まる。勝利後の意見の食い違い、自惚れ、嫉妬、絆に亀裂が入り結束が弱まり始める。
すべてを失って(75)
「すべてを失って」はミッド・ポイントとは逆の展開になる。ミッド・ポイントが絶好調なら「すべてを失って」は絶不調だ。これは見せかけの絶不調であり、最悪の状況は一時的だが、何もかもが破滅し主人公はどん底に落とされる。
このビートのスパイスとして“死の気配“が挙げられる。「すべてを失って」では誰かが死ぬことが多い。自分が頼りにしていた人物が死にたった一人になる。これはその後の主人公自立の布石でもあるため、主人公にとっての指導者がよく選ばれる。
死なせる適当な人物がいなくても、死を象徴させるものを付け加えればいい。枯れた植木鉢の花、金魚の死など、要は死の気配を漂わせることが重要。
心の暗闇(75~85)
「すべてを失って」でどん底に落ちた主人公が答えを見出す。このビートは5秒で終わることもあれば5分続くこともある。夜明け前の闇であり、主人公は深く考え心の奥底を探る。自暴自棄になり愚行に走ることもある。だが最後には答えを見出す。
「心の闇」は悟りのビート。
第二ターニング・ポイント(85)
サブプロットの登場人物たちとのやり取り(台詞)、自分自身で悩み熟考の末、主人公が解決策をひらめく。もう一度奮起し悪に立ち向かう決意を固める。
フィナーレ(85~110)
「フィナーレ(結末)」は第三幕、全てのまとめ。主人公が教訓を学び、今までの悪い点が改善され、メインプロットもサブプロットも主人公が勝利して終わる。古い秩序は滅び、新たな秩序が回り始める。
「フィナーレ」で悪役達は一掃される。子分などの下から始まり最後に親玉が、新たな秩序形成のため滅ぶ。「フィナーレ」は主人公の勝利のみならず、新たな秩序をもって世界が新生されなければならない。
ファイナル・イメージ(110)
「ファイナル・イメージ」は「オープニング・イメージ」と対になっており、確かな変化が起きたこと表現する。「オープニング・イメージ」で現れた不可能なこと、やってしまう失敗をもう一度登場させ、可能になったこと、失敗しなくなったことを表す。
「ファイナル・イメージ」が思い浮かばない場合、第二幕の積み上げが足りない。
ボードを使ってストーリーを作ろう!
自分が使いやすいサイズのボードとインデックスカードを用意する。ボードとカードは脚本を視覚的に認識する最適の道具です。例えば二つのシーンが繋がっていない空白部分「ブラックホール」もひと目で分かる。
水平にマスキングテープを三本貼る。一列目は第一幕、二列目は第二幕前半、三列目は第二幕後半、四列目は第三幕。
インデックスカードを用意する。ネットでも購入できるしダイソーなど100円ショップでも購入可能。
最初に作品名を書いた一枚をボードの一番上に貼る。ここから脚本を作っていきます。使用カード数は好きに使って構いませんが、最終的にボードにあるのはきっちり40枚にする。
カードの書き方は、
●一枚のカードに一つのシーン。
●シーンの起きる場所(シーンを跨るなら分かる範囲)。
●シーンで起こる基本的なことを簡潔に書く。
書いたらボードの適当な箇所に貼る。これが基本の流れです。
インデックスカードの使い方の詳細
まずは自分にとって思い入れのあるシーンをカードに書いて貼る。次はストーリーの要となるターニング・ポイント、ミッド・ポイント→第二ターニングポイント→第一ターニングポイントを書きます。
ミッド・ポイントでは主人公が偽の勝利、敗北を味わっている。ここを上手く押さえればその後の進行が楽になる。ミッド・ポイントができたら「すべてを失って」を作る。ここはミッド・ポイントの逆にすればよい。ミッド・ポイントと「すべてを失って」ができれば第二ターニングポイントも自然とできる。
第一ターニングポイントは「セットアップ」からの流れなので、大抵さほど苦労無く作れるはずです。
これらはあくまでスナイダーの手順であり、あくまで自分はこうすると著者は書いています。
カードの書き過ぎ
バックストーリー(物語の開始前に起きている出来事)はシーンではありません。「主人公は悪い奴だと誤解されている」などはシーンではなくバックストーリーであり、「主人公の登場」という一枚のカードにまとめることが可能。バックストーリーや登場人物の特徴は「セットアップ」で全て説明済みでなければならない。
シークエンスもシーンではありません。カーチェイスは屋内から屋外など場所から場所へ移動するため、複数のカードに切り分けてしまいがちですが、これは「カーチェイス」の一枚で十分です。
軽めになりがちな第三幕
第三幕はスカスカになりがち。その時は下記のチェックを行う。
●サブプロット(Bストーリー)はどうだろう?
第三幕にサブプロットの結末がきちんと示されているか? サブプロット(Bストーリーだけでなく、C、D、Eストーリーがあるときもある)。繰り返し現れるモチーフ、イメージ、テーマを締めくくり、帳尻を合わせるのが第三幕。
●悪い奴らはどうなっているか?
大ボスを倒す前に下っ端は全部片付けたか? 主人公を中傷した連中はしっかり報いを受けたか?
●世界は変化しているか?
主人公の行動によって世界は変化し、新たな秩序により動き始めているか?
ストーリーの色分け
各登場人物のストーリーの色分けをする。太郎のストーリーは緑、花子のストーリーは赤など。こうするとボードに貼った時、誰と誰のストーリーが絡み合っているかひと目で分かり、修正箇所も明確になる。
他にも「テーマを強調するシーン、繰り返し使うモチーフやイメージ」「脇役のストーリー」「サブプロット(C、D、Eストーリー)」なども色分けで分かりやすくなる。
余分なカードを削る
使用カードは全部で40枚。各パートは10枚。足りなくても駄目ですが、大抵は多過ぎる。全体を俯瞰し一枚にまとめられないか、削除できないか考えます。
+/-と><の意味
+/-は感情の変化を表す。それぞれのシーンで感情がプラスからマイナス、マイナスからプラスに変化していなければならない。つまり何かが起きていなければならない。+/-表記により、実は何の変化も起きていない箇所、必要なかったシーンが明確になり、何かが起きていなければならないと意識できるようになる。
感情の変化はどのシーンでも必ず必要。変化していなければそのシーンは何が言いたいのか曖昧だということです。
><は葛藤を表す。どのシーンでも中心となる葛藤を明確にする。何と何がぶつかっているのか(葛藤の原因)、最終的にどちらが勝つか書いておく。複数の人間や複数の問題が絡む場合、葛藤は複雑になりシーンも複雑になる。だから一シーンに一葛藤でよい。
葛藤が物理的・精神的なものか、問題が大きいか小さいかは別として、各シーンに一つの葛藤を盛り込む。そうまでして葛藤が必要な理由は葛藤が原始的なものであり、確実に観客の関心を引き付けるから。人は葛藤している人間を見るのが好きであり、葛藤が無いシーンはまだ未完成です。どうしても葛藤が見つからなければカードを捨てる。
かっ‐とう【葛藤】
[名](スル)《葛 (かずら) や藤 (ふじ) のこと。枝がもつれ絡むところから》
1 人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと。「親子の―」
2 心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。「義理と人情とのあいだで―する」
かっとう【葛藤】の意味 – 国語辞書 – goo辞書
ストーリー作成の黄金のルール
黄金のルールとは脚本を効果的に魅せるテクニックのこと、演出事例集と言ってもいいかもしれません。
SAVE THE CAT!(猫を救え!)
スナイダー本のタイトルともなっている、スナイダーが最も重視するルールです。スナイダーが殊更強調するのが以下。
「映画という名の旅を一緒に続ける主人公に共感できるかどうか」
「主人公は、観客が出会ってすぐ好きになり、応援したくなるようなことをしなければいけない」
これは貧しい人にお金を恵むミエミエのシーンを入れろという意味ではなく、「主人公が置かれた状況に観客が最初から共感できるように気を付ける」ことです。映画「シー・オブ・ラブ」で主人公の警官は冒頭のシーンでおとり捜査をしている。仮釈放違反者をニューヨーク・ヤンキースの朝食会に招待し、集まったところを同僚警官とともに逮捕する。
主人公が会場を去る時、朝食会に遅れてやってきた幼い息子連れの違反者を見つける。主人公は警察バッジをチラつかせるだけで逮捕しない。違反者の男は黙って頷く。主人公は息子連れであるため、あえて見逃してやったのだ。しかし、去っていく男に向かい主人公は「じゃあ、また会おう・・・」と釘を刺す。
設定上、どうしても共感を得られないタイプの主人公(要は悪人)の場合はどうするのか。映画「パルプ・フィクション」の二人の主人公は薬物中毒の殺し屋。普通この二人に共感することはできない。しかし、二人を愉快で無邪気でお間抜けなキャラクターとして描くことで、殺し屋にも関わらず観客が共感してしまうよう人物造形が成されています。また別のやり方は敵役を主人公より遥かに悪い奴にすることです。敵役とんでもないワルにすることで主人公の悪性を誤魔化すわけです。
自分が気に入った人物なら観客も気に入ると考えるのは間違いです。
プールで泳ぐローマ教皇
状況説明のシーンで観客を退屈にさせないテクニック。状況説明は観客にストーリーを正しく理解させるのに必要な知るべき情報の提供です。しかし、退屈だしダラダラ長くなりやすい。無いに越したことはありませんがどうしても必要な時は「プールで泳ぐローマ教皇」を使いましょう。
このタイトルは「The Plot to Kill the Pope」という作品が元。ローマ教皇の元を訪れた代表団が細かな背景説明をするシーンがあり、それは水着を着た教皇がプールで泳いでいる間に行われる。観客は説明より映像に釘付けになる。ローマ教皇が水着を着て泳いでいるというはキリスト教圏では驚くべき光景なわけです。教皇が泳いでる! どういうこと! 教皇もこんなことするの!? などと驚いている間に説明は終わっています。
魔法は一回だけ
非現実的なイベントは一本の映画で一回しか認められない。「魔法は一回だけ」というルールを破れば観客は混乱し、論理的に無理がある。UFOに乗って地球にやってきたエイリアンが、吸血鬼に噛まれて不死身のエイリアンになったなどは駄目。“エイリアンがUFOで地球に着た”がすでに魔法だから。
一つの作品で二つの魔法を信じろというのは無理がある。魔法は一回だけは鉄則。
パイプの置きすぎ
パイプとは観客を惹きつけておく謎。謎を作り観客に解明されるまで映画を見続けようと思わせる。「パイプの置きすぎ」とは謎を入れ過ぎ観客を疲弊させてはならないというテクニック。謎は入れ過ぎるとセットアップの状況説明で時間を取られ、観客をうんざりさせ関心を失わせる危険がある。
黒人の獣医(別名:マジパン多すぎ)
「黒人の獣医」とはアイデアは盛り込み過ぎるなという意味。由来は1970年代の「サタデー・ナイト・ライブ」のパロディ番組。タイトルが「黒人の獣医」で冒頭のナレーションが「彼は獣医であり、元軍人でもあるのだ!」と紹介する。獣医も元軍人も英語ではVet。何でもかんでもアイデアを詰め込もうとする様を上記のパロディ番組を元に名づけている。
脚本の基本的ルールは「シンプルなほど良い」で、「アイデアは一回に一つだけ」、情報やアイデアを積み重ねてもろくなことはなく混乱するだけです。
別名のマジパンは砂糖とアーモンドを練り合わせた細工菓子で、ケーキなどの上に乗せるもの。クリスマスケーキのサンタクロースもマジパン。マジパンを乗せ過ぎているお菓子をアイデアを盛り込みすぎている脚本に見立てています。
氷山、遠すぎ!
悪役の主人公への接近・攻撃が遅すぎてはいけないというルール。悪役が主人公から離れすぎていたり、主人公に攻撃を仕掛けてきてもスピードがあまりにノロいなど、危険の迫り方があまりにゆっくりだということ。
危険は今そこにある危険でないと駄目であり、危険が迫ったらどれほど悲惨な結果になるか観客が想像できるものでなければいけない。
変化の軌道
映画の登場人物は全てストーリーの中で変化するというルール。唯一何も学ばず変化しないのは悪役のみ、主人公や仲間は大きく変化しなければならない。太古の昔から、優れた物語には登場人物全員の成長や変化が描かれている。これは語る価値のある優れたストーリーであれば、そこに関わる人間は皆影響を受け変化するはずだからです。
人生の成功は変化できるかどうかに大きな影響を受ける。正しい人間は変化を前向きに捉え、悪い人間は否定的に捉え頑なに拒む。結果、変化できず自業自得で失敗したり、マンネリから抜け出せず自滅する。人生の成功は即ち変われるということ。
マスコミは立ち入り禁止!
秘密が主軸の映画において、その秘密を破綻させてはならないというルール。例えば、主人公を取り巻く重要な秘密があり、それを嗅ぎ付けたマスコミにより主人公達がもみくちゃにされるといった展開は、映画全体の前提が崩れてしまう。
映画「E.T.」では、E.T.の存在が家族や隣近所、そして観客の間だけの秘密になっているからこそ、映画がリアルに感じられ神秘めいた秘教的な魅力を与える。ここにマスコミを入れてしまうと“私達だけの秘密”はもう秘密ではなくなり、主人公と観客だけの秘密の夢の世界は破壊されてしまう。
出来上がった脚本の最後のチェック
主導権を握るのは主人公だ
主人公は自ら行動を起こしているか? あらゆる段階で主導権を握って行動し、しかも強い欲求や動機に突き動かされているか?
下書きの段階でありがちな問題の一つが主人公の行動力不足。構成、ストーリーの前進など他が上手くいっているのに問題があるの時、特に疑うべき原因。主人公がストーリーに引きずられてしまっており、主体性が無い。たいした理由もなく登場したり、行動の動機が薄く目的も曖昧。
主人公は自ら率先して行動しなければいけない。
台詞でプロットを語っていないか?
登場人物が<プロットを台詞で喋って>いないか? 行動で見せるべきところを台詞で語らせていないか?
登場人物の背景やプロットについての説明が必要だが、どう処理していいかわからず全部人物に喋らせてしまうのはアウト。<語るな。見せろ>が鉄則。映画は映像で語るストーリーであり、映像で表現できるのにわざわざ言葉で説明する必要はない。散歩している夫婦の夫婦仲が悪いのを表すのに、カウンセリングにかよっている話を二人がダラダラするより、若い女の子に見とれる夫の姿を見せた方が分かり易い。
主人公が元ニューヨーク・ヤンキースの選手だったという過去を知らせたいとする。「もうあの頃とは違うんだ。俺がニューヨーク・ヤンキースでスターだった頃。あの事故が起きるまでは・・・」などとせず、アパートの壁に昔撮ったチームの写真を飾っておき、主人公に片足を引きずらせる。観客は事故で選手生命が絶たれたと察するでしょう。
悪い奴はひたすら悪く
悪い奴は十分に悪い奴だろうか? 主人公は克服すべき課題を与えられているだろうか?
主人公はやるべきことをやり、率先して行動し、数々の障害も乗り越えているのに感動が無い時は悪役の悪不足が考えられます。この場合は悪役をもっと悪くしましょう。脚本家は主人公に同情しやすく過酷な状況をつい避けてしまいがちですが、主人公が大変な苦労をして障害を乗り越えてこそ観客は感動できるのです。
回転、回転、回転
プロットは前進だけでなく回転したり激しくならなければいけない。話が進むにつれて速度や複雑さが増していかなければいけない。等速だけでなく加速も必要。ミッド・ポイント以降、プロットは加速し緊迫感を増しているか? 第三幕の大詰めに近づくにつれて、主人公や悪役についてますます多くのことが明らかになってきた?
カラフルな感情のジェットコースター
よい映画はジェットコースターに乗っているようなもの。笑い、泣き、興奮、怖気、怒り、後悔、欲求不満など、観客はストーリーの展開とともにあらゆる感情を使い果たす。サスペンスであれコメディであれ、肝心なのは観客を感情的にヘトヘトにさせねばならない。
感情面が単調じゃないか? シリアスなドラマ一辺倒、もしくはコメディ一色になっていないか? 悲しいばっかりとか、欲求不満ばっかりになっていないか? ときには感情の息抜きができる部分はあるだろうか?
「やあ、元気?」「うん、元気だよ」
「やあ、元気?」「うん、元気だよ」のような退屈な台詞は時間の無駄であり作品を駄目にする。現実世界でよく使うありきたりな言い方をそのまま使っているなら、それは人物を生き生きと描く努力が足りない。
魅力的な人物はどこか人と違った話し方、独自の言い方がある。台詞は内容のみならず人間性(性格・過去・本音・人生観)を表し、人物の口が開くときは特徴表現のチャンスです。
台詞が上手いか下手かは、登場人物の名前を隠し台詞を読んで確かめる。名前を隠しても誰が喋っているか分かるだろうか? 区別ができない時は問題有り。特に脚本家自身の喋り方になっている場合が多い。登場人物は各自違った独特の喋り方をさせる。
一歩戻って
登場人物の成長、変化の過程は全て表す必要がある。もしそれが見えなかったら変化する前の地点を設定し忘れている。そんな時は”一歩戻って”、もしくは一歩一歩戻って成長、変化の軌跡を作っていく。
最初から完成している人物はつまらない。脚本家は自分が書いた主人公だからどう変化するか知悉しているし、苦しめたくない親心が働く。しかし、これといった問題や障害にぶつかりもせず主人公が成長してしまえば、観客は感情移入できない。主人公の変化の軌道はできるだけ早い段階から始まっているか? 主人公の精神的な成長は、最初から最後まで明確に描かれているか?
松葉杖と眼帯
登場人物を区別するための目立った特徴付けを行うというルール。馬鹿にしてはいけない、単純な仕掛けにもかかわらず効果的。
原始人でもわかるか?
原始的だろうか? 登場人物はみな根底に原始的・本能的な欲求、愛されたい、生き残りたい、家族を守りたい、復讐したい等々を持っているか?
原始人にもわかるというのは、観客が一番基本的なレベルで映画に共感できるということ。生き残る、飢えをしのぐ、愛する人を守る、死に対する恐怖など、人の本能的な部分を刺激していなければ面白く無い。本能的な欲求であれば世界中誰でも理解できる、それこそ原始人でさえも。
主人公だけでなく脇役も全て原始的な動機で動いているだろうか? 脇役が上手く表現できない時はこれを意識する。
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